たましい 《2》

小説のタイトルを「たましい」に変更しました。

というわけで、どうも、村長です。



あぁ、あと、《1》を若干加筆修正致しました。

まぁ大した変更ではないので、気が向いた方だけ読んで頂ければ。

それでは、読みたい方は『続きを読む』をどうぞ。






 【東雲愛子】 Ⅰ


トニーの雄叫びで東雲愛子(しののめあいこ)の朝は始まる。

東雲家の んせるwjふぁpwi は、最近流行りだしているアントニオタイプである。
ノーマルタイプの んせるwjふぁpwi よりも二回り程大きく、ガッシリとした体躯は心持ち凛々しい。雄叫びを上げる声もなんだかキリリとしていてカッコイイ。

アントニオタイプの んせるwjふぁpwi に付ける名前の中でも、「トニー」はかなりありきたりな部類に入るが、愛子はあまり気にしていない。名前に対して頓着が無いのだ。もしコイツの名前がウンコだったとしても私のトニーに対しての愛着は毛頭変わらないに違いない、と愛子はのしかかってくるトニーをやんわり押し退けながら思った。

トニーがいない生活なんて、想像すらできない。
愛子は起き上がる。


 □


うちのパパとママは結合と分裂を頻繁に繰り返すから鬱陶しい。

「「おはよう愛子、今日は大学休講なんじゃないの?」」
二階の自室からリビングに降りると、パパとママの声がステレオで聞こえた。
今日も結合しているらしい。


 □


「そうだけど、トニーに起こされちゃった」
「「トニーは毎日毎日お利口ね」」
「折角だからトニーと散歩してこようかな。天気、いいし、やること、ないし」
「「今日は暑くなるみたいだから、トニーがバテないように水を持って行きなさいね」」
「うん」


 □


今日はどうやらママ主体の結合らしい。口調がママで統一されていた。ママ口調のパパの声を聞くのはちょっとばかしぞわぞわするけれど、もう慣れてしまった。
パパもママも最近ちょっと飲み過ぎなんじゃないかってくらい結合剤を飲んでいる。幸福感と充足感で満たされ、いつまでも夫婦円満でいられるからと言って、毎日結合するのはいくらなんでもやり過ぎな気がする。

そこら辺のカップルも夫婦も兄弟も、友達同士とでも、ペットとでも、最近はどいつもこいつも結合結合結合、、、正直、暑っ苦しくて辟易する。
皆そんなに愛に飢えているんだろうか。
幸せが足りないのだろうか。


 □


思うに、皆幸せに対して不感症になってしまったんだ。
苦労して苦労して手に入れる類の幸せより、マツキヨで五百錠入り一三八八円のチープな幸せに手を出してしまったが故の、いわゆる副作用なんだと思う。


 □


結合なんていかにも直接的でわかりやすい幸せだけが全てじゃない。
そんなものより、もっとありふれていて小さなものを大切にしていきたい。

例えば、毎朝食べるバターをたっぷり塗ったカリカリのトースト。
トニーとの散歩で見つける、朝露が光る道端の草花、
夏でも微かに冷っこい朝の空気。
日常の機微の中で漂うささやかな幸せ。
手にした瞬間ほろほろと崩れてしまいそうなくらい脆く儚い幸せ。

それさえあれば、あたしはなんとかやっていける。


 □


そんなことを言うと、
「愛子ちゃんは強いんよ」
卵さんは微かに笑ってそう言うのだった。


 □


トニーとの散歩で、必ず寄る場所がある。
家を出て十分程歩き、高速道路のインターチェンジを歩道橋で渡ってしばらく歩くと、かつて街の工場が使っていた廃倉庫がある。この廃倉庫がとにかくデカい。ちょっとした小学校の校庭くらいの広さはあると思う。

その廃倉庫の入り口に、「蚯蚓書房」というちっこい看板が立てかけられてあるのを見つけたのは、ちょうどトニーを飼い始めてしばらく経った頃だった。


 □


蚯蚓(みみず)書房は、他の書店や古本屋とは一味も二味も異なるまっこと奇っ怪な本屋だ。

ここには本当に色々な本が置いてある。
レジカウンターにあるアルコールランプと天井から吊るされた豆電球一つしか光源が無く、昼でも真っ暗だから、光が届かない隅の方の本棚は背表紙がまったく見えないけれど、それでも豆電球が吊るされている中央付近と、そこから真っ直ぐ歩いて一番奥にあるレジ付近の本棚を見ただけでも、かなりの量と種類の本が置いてあることが分かる。陽に焼けてカスカスになった岩波文庫や艶やかな外国の雑誌から、新刊のハードカバーや絵本。世界中の書店を巡り歩いて卵さんが気に入った本だけを置いているらしい。気に入った本だけを置いてこの量なのだから驚きだ。


 □


店主の卵さんは謎に包まれた人だ。

どうしてこの廃倉庫を使っているのだろう?
廃倉庫に所狭しと並べられている梯子付きの巨大な本棚はどうやって調達したのか?
ほとんど客が来ている気配がないのにどうやって生活を賄っているのだろう?
お金持ちなのだろうか? どこに住んでいるのだろうか?
幾つか遠慮がちに質問してみても、卵さんはいつも困ったように笑うだけだった。

一番の謎は卵さんの年齢である。

最初はあたしと同い年か少し年上くらいかと思っていたが、時折見せる老練な所作や落ち着いた雰囲気は、酸いも甘いも噛み分けた四〇代の婦女の様にも見える。
かと思えば、
「私この前、ノラの んせるwjふぁpwi を拾ったんやけど、安子さんに捨ててきなさいって言われちゃったんよ」と、妙に子供っぽいことも言ったりするのだ。
ちなみに安子さんというのは、卵さんの母親のことらしい。
なんで名前で呼んでいるんだろう?
それも謎だ。


 □


「愛子ちゃんは強いんよ」
「そうかなぁ」
「皆が皆、無造作に転がってる幸せを見つけられるような眼をもっているわけではないし、見つけられたとしても、それだけでずっと生きていけるような人は、なかなかいないんよ」
「うーん、、、」



――続く。