たましい 《1》

どうもお久しぶり、村長です。


唐突ですが、ここで不定期に小説を連載(っていうとなんか大仰な感じだけども)していこうと思いますです、はい。


かなり不定期になるかと思いますが、それなりに自信がある話なので、ちゃんと最後まで書いていこうと思っています。

まあ、過度な期待はせずに。


少し長いので、読みたい方は続きを読むを押してお読みください。




「たましい」




【嵯峨見平子】 Ⅰ


神が死んだ。
私が会社から帰った時には既に死んでいた。
リビングのテーブルの上で、ティッシュに、てろんと横たわっていた。
神が、、、
我が家の神が死んだ。


 ○


最初にそれを発見したのは妹だった。
進学塾から帰ってきた妹は、水槽の中で苦しそうにモソモソ泳ぐ神に気付きすぐさま寝ている安子(やすこ)を呼んだ。


 ○


「安子さぁん! 神さんがおかしい。なんか苦しそうや」
「んあ? む? 神ちゃんが何?」
「死にそうなんよ。とにかくはよ来て!」
「んむー」


 ○


安子とは世間一般で言う母のことだ。
私達姉妹は両親のことを名前で呼ぶ。
なんでそんなことになったかというと、若かりし安子が物心つきたての私に「お母さんの事をお母さんて言うたら駄目。私の名前は安子なの。ちゃんと名前で呼ぶんだよ。お父さんの事もね」と言ったのを私が忠実に守り、そんな姉を見て育った妹もそれに倣って忠実に守っているからである。
以前、私は安子に「なんで安子はお母さんて呼ばれたくないの?」と訊いたことがある。


 ○


「なんか、いやじゃん。お母さんとかママとかおふくろとか呼ばれると、自分が自分じゃないみたい」
「そんなもんですかね」
「だって私は安子だよ? お母さんって名前じゃないよ。子供ができた瞬間いきなり呼ばれ方が変わると、なんかそれ以前の人生の意味が消えてっちゃう気がするんだよね」


 ○


安子は十六歳で私を産み十八歳で妹を産んだ。
相手は安子の幼馴染で、名を嵯峨見(さがみ)俊貴(としき)という。私と妹の父だ。
私の母方の祖父母に当る安子の両親も、十代で安子を産んだのでそこまで騒ぎ立てたりはせず比較的寛容だったらしい。俊貴側の両親は、俊貴が物心付く前に事故で亡くなっていて、俊貴の面倒は遠い親戚が見ていたらしいのだが、俊貴の遠い親戚は俊貴にほぼ無関心だったのでこれまた極めて穏便に事は進んだ。十六歳のうら若き羊水に浸かって信じられないくらい平和に生まれた私は平子(ひらこ)と名付けられた。


 ○


瀕死の神を見つけた妹は寝ぼけ眼の安子をリビングの水槽まで引っ張った。


 ○


「うわ、、、ほんとだ。えー神ちゃんなんか可哀想」
「神さん死んじゃうの? ねえ、死んじゃうの? 安子さん何とかしてよ、ねえ」
「そんなこといってもさぁ。もうどうしようもないよ、これ。寿命だったんだよ、仕方ない」
「安子さんの力があればなんとか出来るでしょ? ねえってば」
「流石にここまで弱ってるのは無理だよ。二人でちゃんと神ちゃんを看取ってやろう」
「、、、」


 ○


妹、嵯峨見(さがみ)卵(らん)は出生からしてまっこと奇っ怪な奴だった。

安子は一人で卵を妊娠した。
精子を受精せずに、卵子だけが勝手に細胞分裂をくり返し生まれたのだ。
俊貴との性交が無かったわけではないが、安子の卵子は俊貴の精子を受精せず、受精膜も張らずに極めてイレギュラーで不安定な状態のまま細胞分裂を続け、不気味なほどすくすくと体内で育っていった。産婦人科の先生もこれには大層驚いたらしい。大層驚いたなんて言葉では表し切れない程大層驚いたらしい。先生は安子に何度も熱っぽく安子と胎児の精密検査を薦めてきたが、それが堪らなく鬱陶しかった安子は二回目の通院で自宅出産を決めた。それ以来その産婦人科には頑として行かなかったらしい。
二回目の通院で性別は女の子だと分かっていたので、安子は妹を卵と名付けた。
私といい妹といい、潔いくらいストレートな名付け方である。

不可思議な出生譚に引けをとらないほど、卵は成長するに従って様々な事件を引き起こし様々な能力を遺憾なく発揮し、開花させ、私達家族を翻弄し驚嘆させた。
妹はレオナルド・ダ・ヴィンチもかくやと思わせるほどの万能者だった。物心がついた時には既にひらがなカタカナの読み書きが自然と身についていて、ピアノは五歳の時にドビュッシーアラベスクをマスターし、七歳で孔子論語を読破、小学校のマラソン大会では六年間連続一位だったし、中学の模試では各教科の一位を総嘗めした。もしこの世に「天才」という職業があったなら、妹は引く手数多の「超売れっ子天才」になっていたであろう。 、、、何言ってんだ、私は。
しかし妹の万能気質は極めて限定的であった。
「人に何かを与える。教える。伝える。ってことが、徹底的に駄目なんだよねぇ。そういう事をやろうと思った瞬間、頭が真ーっ白になるんよ」と妹は言う。
自分の中で文字の意味が分かっていても、他の人に「これはね」と説明することができない。どんなに難解な曲が弾けて、音符をスラスラ読めても、他人にピアノを教えることができない。音符の読み方を説明できない。徒競走では誰よりも速く走れても、リレーになるとドベになる。どんなに勉強ができても、他人に解法や考え方、コツを教えてあげることができない。
妹の天才性はそのすこぶる閉鎖的で局地的な性質故、私達家族の予想に反して周囲の反響はそこそこ、人並みであった。いや、先生方からの反響はすこぶる良かったのだが、もっと色々な人達からの感嘆や驚嘆が聞こえてきてもいいのではないか、と、私達家族はおこがましくもそう思っていたのである。現にそう思っても仕方が無い程、妹は私達にその非凡極まりない能力を見せつけていた。

妹にはもう一つ、特異な能力があった。
私達家族は、その能力を「拾い物」と呼んでいる。

私達に初めてその能力を見せてきたのは、妹が十歳の時。
学校から帰った妹は、玄関で靴を脱ぐと、すぐさま安子のもとに向かった。

「安子さん安子さん!」
「んー何」
「これなーんだ!」
「、、、何これ」

私と俊貴はその時家にいなかったので見ていないのだが、安子の証言によると、妹の手の上にはマリモの様な物体からミミズの様な触手状の(おそらく)手足が蜘蛛の様に六本生えた得体の知れないバケモノがうみゅうみゅと蠢いていたらしい。

「、、、なに、これ」
「えー、安子さん知らんのぉー?」
「うん、、、」
「んせるwjふぁpwi だよぉ」
「え、なに? なんて?」
「んせるwjふぁpwi だよ。もー、知らないの安子さんくらいだよー?」

とりあえず安子は妹にその謎に包まれた物体をすぐさま捨てに行くようきつく言い渡した。懸命な判断だと思う。
翌日、私は安子から聞いたこの珍妙な話をクラスの友達に話した。俄に信じられないような事ばかりする妹の話はそこそこ好評だったのだ。

「別に信じなくてもいいんだけどさー。昨日、妹がなんか変なモノを拾ってきたらしいんだよねぇ」
「なになに? 卵ちゃん、なに拾ってきたの?」
「なんか、マリモみたいな物体からウニョウニョ手足が生えたようなモノで、、、」
「それってもしかして、んせるwjふぁpwi じゃない?」
「、、、へ?」
「なんだぁー、卵ちゃん、んせるwjふぁpwi 拾ったんだ。えーいいなぁー。となりのクラスの愛子ちゃんも飼ってるらしいんだよねぇ。私も飼いたいなぁ」
「いや、、、うちはやす、、、親が駄目だって言って、妹が捨てに行ったらしいよ」
「なんだぁ、残念だね」
「う、うん」

私はその日のお昼休みに図書室に直行して、生物図鑑を片っ端から引いた。
生物図鑑の中でも最もポピュラーであろう「いきもの」図鑑に、それは載っていた。

『んせるwjふぁpwi目 んせるwjふぁpwi科 んせるwjふぁpwi属 んせるwjふぁpwi』

んせるwjふぁpwi を皮切りに、妹は三ヶ月に一度くらいの頻度でどんどん「拾い物」をしてくるようになった。
他の生物をごちゃまぜに繋げたようなモノから、どう見ても発泡スチロールにしか見えないモノまで、実に色々なモノを妹は拾ってきた。
拾って、それを私達家族の誰かに「これなーんだ!」と言いながら見せるのが妹の中でテンプレート化しているらしい。そして、私達が(当然の事だが)答えられないと、「〇〇だよ。もー、知らないの〇〇くらいだよー?」と言ってそのモノの名前を言うのだ。その名前の大体がシュールで、時にシュールを通り越して空恐ろしくすらあった。
妹が拾ってきたモノは、次の日になるとまるでそれを知っているのが当り前だというように世界中の人々に認知されるようになる。今もテレビでは、たまに芸能人の「我が家の んせるwjふぁpwi 自慢」なる番組が組まれる。


 拾ってきた「モノ」が認知されるということは、モノの「名前」も新たに認知されるということだ。

 神もその内の一つだった。
 妹が神を拾ってきたのは、今から二年前の事である。



――続く。




ちなみに作中の「、、、」は、「……」の代わりに使っている小説家がいたので、ちょっと使ってみたいなーという軽い気持ちで採用しました。深い意味はないです。


そして、話の辻褄を合わせるために、人物の年齢やら事象の年月やらが変動する場合がありますが、ご愛嬌ということで。


最終的に、話が完結するときにはちゃんと全部の辻褄が合う様にします。



それでは、お目汚し失礼しました。