恋はサーカス
村長:
最近ずっと気になっていることがある。
僕はたまにリア充と言われる。
彼女がいるからだそうだ。
確かに、彼氏・彼女の有無でリア充かどうかを決めるんだったら、僕はリア充だ。
でもちょっとまって欲しい。
彼氏・彼女がいなくても、リア充と呼ばれている人は結構いるだろう。
例えば、他人へのコミュニケーション能力の有無。
そこを基準に考えると、僕は非リア充だということになる。
知らない人には徹底的に無愛想です、僕。
結構人見知りもするし。
多分、会話が出来ない。
また、リア充の方が平均的に睡眠時間が長い、という統計も出ているらしい。
そういう面で見ても、僕は非リア充だ。
最近は四時間くらいしか寝ていない。
学校では起きている時間より机に突っ伏している時間のほうが多分長い。
昼休み丸々寝てしまったこともある。
果たして、僕はリア充なんだろうか、それとも非リア充なんだろうか?
前回の記事で藤野千夜のおしゃべり怪談を読んだという話を書いたけど、おしゃべり怪談と同時期に、昨日のように遠い日、というアンソロジーも読んだ。
このアンソロジー、時代や国に関係なく、少年少女が題材の海外小説を集めた、一風変わったアンソロジーなのです。
普段から、短編集やアンソロジー好きを公言している身としては、買わないわけにはいかないでしょう。
しかも装丁が僕の大好きなクラフト・エヴィング商會、ますます買わないわけにはいかない。
でもね…。これ、高かった。割と薄めの単行本に2000円払うのは結構抵抗あったよ…。
まあ海外小説は訳者にも金払わないといけないから、高くなるのはしょうがないんだけどさ。
まあでも、買って良かった。
2000円の価値はあったと思うよ。
全体的にファンタジー色が強い短編が多かったな。
特に最後、ウォルター・デ・ラ・メアの「謎」って小説。意味の分からない怖さがあった。
子供が次々と箱の中に入っていって、消えていく、ただそれだけの話。
あと、マリリン・マクラフリンの「修道者」がね、良かった。
体の変化(生理等)に拒絶反応を示す少女が、不思議なおばあちゃんがいるアイルランドに行って、徐々に体の変化を受け入れるようになる話。
おばあちゃんの暮らしの描写とかがね、すっごい綺麗。
あとはそうだなあ、ダニイル・ハルムスの「トルボチュキン教授」がね、なかなか愉快で楽しかった。
ユーモアあふれる小説家だよ、ダニイルさんは。
自分は普段、あまりというかまったく海外小説は読まないんですが、海外の小説にも手を出すきっかけになったと思う。このアンソロジーは。
大人が読んだら、多分ちょっと懐かしいような、悲しいような…そんな気持ちになるんだろうな。
まあ、高いですけど、オススメです。是非。
ではでは
ブログでの一人称が相変わらず定まらない。